引用元: ・アニオタなんだがアイデンティティ問題について考え始めるとヤマカンの思想に近ずいていって怖い


くまさんかわいい
教えて
何を
ヤマカンの思想とやらを
めっちゃ長くなるけどいい?
OK
待つわ
ヤマカンといえばtwitterでオタクに対して噛み付いているので有名で
そのせいでアニメオタクから非常に嫌われアニメ監督としての地位すらも失った人物だが
演出家としてはある種の才能を持った人で音楽のPVやダンスなどの映像作品を作るのが得意なんだ
そんな彼だが現在オタクというものにものすごく嫌悪感を示している
ミイラ取りがミイラになっちゃった典型だしvipにも名作キチガイを憎みすぎてキチガイになったアンチ名作キチガイという似た存在がいるし
ただ、彼が学生時代だった頃のオタクと今現在俗に言われているオタクとではかなり認識が違うものがある
オタクとは広く定義するなら「ある特定のジャンルを熱狂的に支持する人」でそれはアニメ、特撮、ミリタリーなどの多岐にわたる
若き日のヤマカンはアニメオタクだった訳だが、アニメーションオタクでありアニメという映像媒体の特性に引かれるものがあった
実写は現実で起こりうることしか撮ることができないし(今でこそCGがあるが当時は特撮が限度であった)文章はいくら細かく説明しても100人の相手に同じ光景を見せることができない
文章や実写はは縛りのあるメディアだからこそ発揮出来る面白さがある(例えば俳句などがそうだ)がアニメは今ある情報伝達媒体としてほぼ完璧な特性を持つ
ただ欠点としてはコストが高いことである
アニメの完全性とやらの説明になってないな
まず視聴覚に訴える伝達に普遍性は保証されてない
(「色」という情報一つですら個人差が産まれるのは色を扱う専門職においても常識)
実写の不完全が非現実性の描写制限であるとして
アニメーションにおける非現実性描写が優位になることの理屈を示せていない
個人の発想に基づく非現実性をアニメ的表現にすることは「優れた非現実性の描写」なのか?という話
さらに逆に言えば、実写における現実性の描写に比べれば、アニメは制限のある情報量
作家の恣意的な感性でフィルタリングされデフォルメされた抽象でしか表現できないというのもある
結局「アニメもまた一長一短」というところに落ち着くものでしかない
こんなあやふやな理屈を前提に掲げて進める話には期待が持てないな
アニメーションという媒体に対しての意見の個人的差異はあるだろうがヤマカンがアニメーションに惚れ込んだという認識でいてくれればいい
コストのことを考えればたしかに1度に画面に映し出せる情報量は限られてくるし一長一短なのはまあわかる
自分で想像した宇宙の様子を相手に伝えることもできるし自分の想像したかわいいと思う女の子を動かすこともできる
サッカーでどんなスーパープレイだって見ることができる
これは思想に関しても同じである
これは高畑勲監督の言葉だが「アニメは思想を語ることができる。それも思想を思想のままではなくて物語などに変換して伝えることが出来る。」
と言っている
当時のアニメオタクはそのアニメーションの「思想が語れる部分が好き!」とか「現実じゃありえないロボットを動かせることが好き!」とか「アニメという媒体の特性が好き!」とかいろいろあったのだ
ヤマカンはアニメで思想語ったナウシカに衝撃を受ける
自分もアニメで自分の思想を語りたいと思うようになる
当時のアニメオタクはそういうアニメの中でも色々なジャンルがあってそういう人たちは一般人とは違うくくりに入れられてた
当時アニメオタクという言葉はなかったそうなのだが今で言うアニメオタクでいいだろう
つまりここ数十年でアニメオタクという言葉の定義がかわってしまっているのだ
アニメが一般の人達から光を浴びるようになったのはせいぜい00年代からで90年代にエヴァの爆発的ブームがアニメーションとして異例のものとされてからもいわゆる市民権を得たと言える状態になるのはごく最近と言えるだろう
アニメ業界が一般の光を浴びた頃にはもう既にアニメオタク=萌えオタクという認識で広まっておりそれ以外のアニメオタクというのは肩身が狭い状態であった
これは別に萌え批判がしたい訳ではない
むしろ萌えという要素もアニメーションで最大限に表現できる要素のひとつである
萌えというものの始まりには諸説あるもののうる星やつら頃にはラムちゃんなどの記号化された萌え要素を持つキャラクターが存在していたことを考えるとヤマカンがアニメオタクだった頃の時代にはもう原型はできてきたと言える
しかしこれは元々オタクだった人達からするとおかしなげんなようであり、オタクというのは一般人から理解されない色んなジャンルの集団であり、一般人に理解されないのは当然のことであり同調圧力もオタクという存在そのものを脅かす意識であるのだ
元々あった排他的意識がネットを通じて第三者にも認識されやすくなったんだろうな
理解されない集団にだって理解できない物はあるしそれを敵視するってのは感情としては普通だけどな
理解されない苦しみを知ってるなら同じことするなよとは思うが
元々オタクであった人達からすれば迷惑な話で自分たちがオタクであったはずなのによく分からない強い集団が出てきてオタクのイメージは非モテ男子になってしまい自分たちはオタクではないなにかになってしまったからだ
では元々オタクだった人達は「自分はなんなんだ、オタクじゃなくなってしまったのか?」という疑問が残る
ここでtwitterなどで声を大にして「本当のオタクとは~!」「オタクとはこうあるべきで~!」というふうに啓蒙活動に励むという手もある
オタクという言葉の認識がかわってしまったのだからそれを戻すという方法を取るのは間違った行動ではないだろう
そんなのさっさと萌豚に譲ったほうが楽だろう
そう
だからヤマカンはオタクというものを萌え豚に譲ってその中から出てこないようにしたって訳
言葉の認識を変えるのには相当の発信力が必要だ
そこでヤマカンは逆に気持ちの悪い非モテ男子という人たちを「オタク」という言葉に閉じ込めることにした
気持ちの悪い人達のことを全てオタクと総称してしまうことで自分たちは一般人となりアニメは一般人でも楽しめるものとして昇華させるのだ
だからヤマカンは今でも自分に噛み付いてくるオタクのことをレッテル貼りし突っぱねることをしている
もう少し様子を見てやろうよ
今説明したとうりがヤマカンの思想だが…
実際twitterでは自分に噛み付いてきたオタクを晒しあげて「これがオタクです」とかやってる
その辺は自分で使い分けたところで広く知られる定義にはならないのでなんとも
>>67
オタクをオタクという言葉の中に閉じ込める
そして近年はアニメは一般の人に見られる存在になってきているのでアニメはオタクが見るものからみんなが見るものに立場を変える
ヤマカンが言うにはこれからは君の名は。のように一般向けのアニメが広まっていき一般人でも普通にアニメを見る時代になってきている
元々オタクだった人達はオタクというレッテルを捨てることで自分たちの立場を復活させることができる
一般人に気持ち悪い存在として扱われたところで自称アニメオタクはそれを苦には思わないし一般人に牙を向くのも変わらない
ヤマカンの作品そのものは評価されてるんちゃうの
自分の属性が見下してる奴らと一緒にされるのが嫌だから、そいつらを殻に押し込めてる
まあそういうこと
元々オタクだった人達からすれば当然の決断といえばそうなんだがなかなか理解されることは無い
>>71
自分の作りたいものが評価されない時代になったので諦めて自分の立場を変えたんだよ
あとクリエイターとしてのヤマカンは自信で「元々自分はアニメが作れなかったんだ」と言っているくらいだから腕のたかいものじゃないと自覚はしていると思うよ
こっからどう自分の意見に落としこむんだ?
ヤマカンの思想とやらを教えてと言われたからヤマカンの考えはこうだよと説明したんだがこっから自分語りもしなきゃならんのか?
結構疲れたんだが…
あーそうだったな
すまん
いや、お前さんの「アイデンティティ問題」とどう繋がるのかと思っただけだ
昔のアニメ絶賛みたいな
でも正直、表現なんてアニメ以外にも小説とか映画とか音楽とかあるのに今のアニメ業界にいながらそういうヘイト発言はマイナスプロモーションであることは間違いないと思うんだけど
萌え文化そのものはアニメーションの1つの素晴らしい要素だと思うよ
長い説明を丁寧にしてくれてありがとう
いや
他人に説明する時は自分でも頭の中で整理しながら書き込まなきゃいけなかった結構面白かったよ
それは良かった
お前さんのアイデンティティって何なんだい?
それもオタク問題か
もちろん僕のアイデンティティはオタクな訳だがヤマカンとは全然歳が違う
twitterとかでやり取りしてて「あれ?俺ってめっちゃアニメ好きなはずなのになんか周りと違う気がする…」と思い始めたのがきっかけ
そっから過去のアニメの経緯なんかを調べてるとだんだん思想がヤマカンのようになってきて怖くなってきた感じかな
そうなのか
俺もアイデンティティのことで悩んでたところにお前さんのスレタイが目に入ったから興味を持ったんだ
俺の場合はオタクではないが、似たような部分もある
ヤマカンという人物のことも知るきっかけになった
他人の考えを知ることは大切なことだな